北海道から見える日本の産科医療の重大危機

東洋経済オンライン 2018/06/09 河合 蘭:出産ジャーナリスト
北海道の遠紋地域は、東京都の2.3倍もの面積があるが、出産できる病院はたったひとつしかない。首都圏のJRに貼りだした医師募集の中吊り広告を手に持つ遠軽町の佐々木修一町長(筆者撮影)
遠紋地区の出産を一手に引き受ける自治体に
芝桜が一面に咲き、やっと春を迎えた北海道紋別郡の遠軽町。

【写真】北の地で産科医療に奮闘する関係者たち

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この町は今年の春から、オホーツク地域南部にあたる遠紋地域の出産を一手に引き受ける自治体となった。2月28日に配信した「救急車の中で出産せざるを得なかった母の声」で触れたように、隣接する紋別市の広域紋別病院で、最後の1人だった産科医が2018年3月に一身上の都合で退職したからだ。

遠軽町には遠軽厚生病院という出産施設が1カ所あるが、これより北には、そこから273km離れた日本最北端の稚内に至るまで出産できる病院はひとつもない。この地域には雄武(おうむ)町、興部(おこっぺ)町、西興部村、滝上町、湧別町、佐呂間町、紋別市そして遠軽町の1市6町1村が含まれ、面積にすると5148平方キロメートルある。

東京都の面積(2190平方キロメートル)と比較すると、なんと約2.3個分の広さだ。北海道には、今、このような規模の医療過疎がいくつもの地域で起きているという。

3月に最後の産科医が去った広域紋別病院は、2011年に周辺の5市町村が力を合わせて開設した病院だった。建物も新しく、医療の不安を抱える住民の期待を集めていた。しかし、建物や設備は予算があれば手に入るが、人間はそうはいかない。今、僻地では、医師ひとりを雇用することが至難の業である。

その中で、遠軽が「産める町」であり続けているのはなぜかというと、産科医療の継続に町全体で取り組んできたという経緯がある。

実は遠軽町にも、分娩を扱う唯一の施設である遠軽厚生病院から産婦人科医がひとりもいなくなってしまった時期があった。その時、遠軽町は隣接する湧別町、佐呂間町と遠軽地区地域医療対策連携会議を設立して大胆な医師募集作戦に出た。全国の産科医にダイレクトメールを発送したり、首都圏を走る京浜東北線を1台丸ごと「医師募集」の中吊り広告で埋め尽くしたりしたのだ。

さらに『週刊文春』と『週刊新潮』に、広告記事を掲載した。記者会見も開いて、中吊り広告が吊られた車内で吊革につかまる町長の写真を撮らせて大手新聞の記事にもなった。そして一連のキャンペーンにより産科医2人が赴任した今も、3人目の赴任を目指して遠軽町は医師募集を続けている。

遠軽町町長・佐々木修一氏たちのこの奮闘は2015年春に始まった。町長の高校の先輩にあたる遠軽厚生病院院長・矢吹英彦医師が「話したいことがある」と言ってきたのだ。

「そういうときは普通、いい話ではないよね」

佐々木町長は振り返る。案の定、矢吹院長は、町長室に入るやいなや産科医が大学へ引き揚げると言った。日本の病院の大半は特定の大学の医局から医師を派遣してもらうことで成り立っている。

3人の産科医で年間約350件もの分娩を扱っていた
当時の遠軽厚生病院は小さいながらも新生児集中治療室(NICU)があり、3人の産科医で年間約350件もの分娩を扱っていた。遠軽町民の大半がそこで産んでいただけではなく、その3分の1は、出産できる施設がない周辺の市町村から来た妊婦が占めていた。

北海道庁は、この病院を地域の要と考え「地域周産期母子医療センター」に指定している。2014年に道が独自に作成した医療計画では、「優先的に産婦人科医師の確保を図る地域周産期センター」のリストにも名前が挙がっていた。

しかし、派遣元の旭川医科大学は3人中2人の医師を引き揚げると言ってきた。医局員が減少し旭川医大自身が立ち行かなくなったためで、大学としても苦渋の決断だったのだろう。そして、この決定を受け、残り1人の医師も退職して別の病院に勤務することを希望したため、結果的に、遠軽厚生病院は分娩をまったく取り扱えなくなった。

宙に浮いてしまった約350件の出産については北見、旭川など遠方の産科に行くしかなくなり、車で1時間ほどかかる道のりは、妊婦や陣痛の始まった女性には覚悟を強いた。冬になれば氷点下20度程度になる地域で、路面凍結によるスリップ事故や吹雪も心配である。

佐々木町長は遠軽厚生病院を頼りにしてきた湧別町、佐呂間町の町長とともに旭川医大、北海道庁、そして霞が関にも出向いて助けを求めたが、光は見えなかった。それどころか、行動する中で町長たちがよくわかってきたのは、「日本の産科医不足は、本当に深刻だ」ということだった。

「会った人たちは、誰でも『遠軽に産科医がいるべきだ』と思ってくれていました。でも、わかっていても、できないことがある。それは町役場の仕事だって同じですから僕らは理解せざるをえなかったですよ」

短い夏が終わろうとしていた。遠軽町には、市民ボランティアが世話をして1000万本のコスモスが花咲く花畑があって、毎年8月から10月にかけて「コスモスフェスタ」が開催される。その年もフェスタは開催された。ただ、そこには「産科存続の署名活動に協力を」と呼びかける町民たちの姿があった。

産科医を失った自治体では、しばしばこのような署名運動が展開されてきた。しかし無い袖は振れず、署名活動が医師確保に結びつくことは珍しい。ここでも、コスモスが終わるのも待たずに、遠軽厚生病院は最後のお産を終えた。

町の未来が見えなくなっていく
(この町はどうなっていくのだろう?)

産科の火が消えたことについて、佐々木町長は、町の未来が見えなくなっていくような不安を感じたという。

「お産というものは、未来があるということのシンボルなんでしょうね。産科がなくなってしまうということは、土地の人間にとって、なんとも言えない不安な感じなんですよ」

この頃、町役場から、全国でも他に例を見ないアイデアが次々と生まれてきた。

そのひとつが、保健福祉課が提案した医師個人へのダイレクトメール作戦だった。全国の産科医に「遠軽に来てくださいませんか」という手紙を送ったのだ。大学や自治体といった組織ではなく、医師個人にSOSのサインを送ろうとしたのである。

全国の産科医のべ9702人にダイレクトメールを送った遠軽町保健福祉課。ここから全国の産婦人科医へ向けて、北の町からのSOSメッセージが発信された(筆者撮影)
発送を担当した保健福祉課によると、産科を標榜する全国の病院やクリニックの住所に送ったそうだ。そこには産科医がいるはずで、多くはゴミ箱に直行するとしても、少しは生き残り、医師が読んでくれることもあるだろう。送付先リストの作成は、2カ月間かかった。発送は2回にわたり、発送したダイレクトメールの数は施設数にしてのべ4719施設、医師数にして9702人という大変な数にのぼった。

そして2016年に実施された第1回目では1人、その次年度に行われた第2回目の発送ではもう1人と合計2人の産科医を遠軽に呼ぶことに成功した。

最初に遠軽に来た石川雅嗣医師は、手紙を受け取った当時、旭川市の産科クリニックに勤務していた50代の産科医だった。子どもも独り立ちし、自分が今後の働き方を模索していた時期だったので、手紙を読んだ時、瞬時に心が動いたという。

実は、石川医師は、妻が、たまたま遠軽のコスモスフェスタへ観光に行っていた。そこで署名活動を目の当たりにし、帰宅後、夫に「あなたが遠軽に行ったらどうか」とすすめていたという伏線があった。

第1回目のダイレクトメール7654通に対して、赴任の意志を示してきたのは全国で石川医師ただ1人だった。その1人であったことについて、石川医師自身はこう言う。

遠軽にやってきた石川雅嗣医師は言う。「産科医人生の最後を、人に喜ばれる場で締めくくりたいと思った」。遠軽厚生病院産科病棟にて入院中の母親と写す(筆者撮影)
「僕は、悔いなく産科医人生の最後を締めくくることができる場を探していたのです。そのタイミングが、たまたま遠軽町のピンチとぴったり合っていただけです」

医局という後ろ盾がなく個人としてやって来た医師には、周囲に、自分で実力を示さなければならないというプレッシャーもある。

勝負の始まり
2016年11月、遠軽厚生病院の分娩室に、石川医師の介助で再開第1号の赤ちゃんが生まれる。

「1年2カ月ぶりの産声」

喜びを伝える新聞や町の広報紙。しかし石川医師にとって、それは勝負の始まりだった。

高校の制服などを扱う洋品店「さかえや」を営む小野さん一家。遠軽厚生病院で2人目の子に恵まれたばかりだ。分娩が早く進みやすいので、2人目以降を産む女性は特に地元で産みたいと思う(筆者撮影)
土日も年末年始もなく、休暇は1カ月に1度程度という生活が続いたが、ここで何か起こすわけにはいかない。しかし医師がどんなに注意していても、分娩には、いつ何が起きるか読めないところもある。救急搬送を出したら、遠軽厚生病院から北見、旭川、名寄の高度医療施設まで1時間から2時間かかるということも、医療過疎の地で働く医療者にとっては大変なストレスである。

ただ、遠軽町の強みは、その大変さを町がよく理解できることだった。いくら希望して赴任してきた石川医師であっても、そんな生活は続くわけがない。

<写真キャプション> 遠軽厚生病院分娩室に立つ石川医師。再開時に機器がそのまま残っていたのは幸いで、休止期が長期化しなかったこともよかったのだろう。助産師は退職があって人数が減ってしまったが、再開後は、徐々に復活している(筆者撮影)
だから医師募集は石川医師が来たあとも熱く続けられ、ダイレクトメール第2弾が発送された。そして今度は、遠く兵庫県から女性医師が新たに赴任してくることになった。

遠軽厚生病院の産科医は2人体制となり、石川医師は1年ぶりに休暇が取れる生活に戻ることができた。そして今も町は、3人目の医師を探す活動を続けている。医師が集まる場でアピールを行っているし、町のホームページには「産婦人科医師募集」のページがある。長期的対策としては、遠軽厚生病院で研修することを約束した旭川医大の学生に返還の必要がない修学資金を提供している。

根本的な解決には国に動いてもらわなければならない
佐々木修一町長は「医師が3人来ても、それで問題は終わりではない」と言う。

「何とかして医師に来てもらうということは、実は対症療法に過ぎない。根本的な治療は、市区町村にはできません。そこは、やはり国に動いてもらわなければならない」

首都圏の電車を医師募集の中吊り広告で埋め尽くしたり東京で記者会見を開いたりといった大掛かりな行動に出たのは、遠軽町の「都市部の人に、医療過疎という問題に目を向けてほしい」という切実な願いの表現だった。

「お医者さんが来てくれたのはうれしいですよ。私も、町の花火大会で小さい子を抱いた若いご夫婦に声かけられて『遠軽で産めるようになったから、もう1人産みます!』なんて言われると、まあ、ちょっと涙が出そうになるよね。

でも、地域格差がどんどん広がるような仕組みがそのままだったら、近いうちにまた同じことが繰り返されるでしょう。実は遠軽は脳外科にも困っているんです。以前は周囲から脳外科患者さんを乗せた救急車が集まってきていたのに、今は遠軽から救急車が出ていきます。高速道路も、車の少ない田舎には要らないだろうという人もいらっしゃいますけれど、私たちにしてみたら命の道路なんです」

町長は東京から来ている私に言った。

「東京の人も、田舎が消滅したら困るんですよ。あなたも、北海道のじゃがいもや玉ねぎがスーパーになくなったときは困ったでしょう?」

紋別空港から東京へ向かう佐々木町長。自治体の長にとって、飛行機の中はつかの間の休息がとれる数少ない場所のひとつだ(筆者撮影)
北海道はじゃがいものシェアは全国の約8割、玉ねぎでは7割を占めていて、その中でもオホーツク地域の生産量はトップクラスだ。

「日本はつながっているんです。そして畑を耕している人も、魚を獲っている人、山を守っている人も病気をするんですよ。結婚して妊娠もするんですよ。だから私たちは霞が関や永田町にも出向いて話を聞いてもらうんです」

実はこの遠軽取材の帰り道、紋別空港で羽田行きの飛行機が到着するのを待っていると、そこにひょっこり佐々木町長が現れた。

「今日も東京ですか、大変ですね」と私が言うと町長は「いや、一生懸命働かないと、僕らはあっという間にこれだから」と言いながら、手刀を首にチョンと当てて笑った。選挙に落ちるという意味だ。

想像を大きく超えた規模で産科医療過疎が進んでいる
オホーツク地域では、私の想像を大きく超えた規模で産科医療過疎が進んでいた。そしてこのような地域は、北海道中に、そして全国に無数にあると聞く。

どの地域も役割を担っている。それなのに、この問題にはなかなかスポットが当たらない。今回、私が遠軽の取材をすることができたのも、私が気づいたからというより、たまたま遠軽商工会議所が私を講師として招いてくれたからだ。私には産科医療危機についての著書があったので、定住化促進事業の一環として講演会を企画してくれたのだ。

行ってみると、企画したのは青年部で、子育て中の父親が多かった。遠軽厚生病院が分娩を扱えなかった1年間のあいだに妻が不安な遠距離通院を強いられたという父親もいた。懇親会の酒席で、彼らは、子どもが可愛いという話を始めると止まらなかった。

遠軽町の合計特殊出生率は全国平均を上回っており、家族生活を大切にしている人が都市部より多いと感じた。講演会のフライヤーには、定住促進とは、住民が子どもを安心して産み育てられるということがその基盤だと書かれていたが、人の親としてはそれが当たり前の気持ちだろう。産科医療の危機は実は産業の危機であり、地方の危機は都市の危機でもあるという認識がもっと広がり、早く有効な対策がとられてほしい。

【取材協力】遠軽商工会議所青年部

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