上野千鶴子「在宅ひとり死は孤独死じゃない」 介護保険が可能にした選択肢


AERA dot. 2021/10/1

 「おひとりさま」の生き方を発信してきた社会学者・上野千鶴子さんがさいごの迎え方について語った本『在宅ひとり死のススメ』が話題となっています。「孤独死」とは異なる「在宅ひとり死」を積極的に肯定する、その真意とは。現在発売中の週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん 2022年版』から抜粋して紹介します。
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――「在宅ひとり死」という言葉は前向きな印象がありますね。

 出版社が最初に提案してきたタイトルは「孤独死なんて怖くない」でした。一般ウケすると思ったんでしょうね。でも私が見てきた高齢者の死は孤独とは全く違うものです。違うものは違うとちゃんと言いたいと思って、「在宅ひとり死」という言葉を作りました。私がおひとりさまに関する研究をやってきたこの20年の間に社会も現場も変化して、「ようやくこのタイトルの本を出せるようになった」という感慨がありますね。

――おひとりさま高齢者の満足度に関する調査を引用されています。

 メディアで紹介される国の統計はトップからボトムまで全部含まれているマクロデータで、それを見ると独居高齢者はとても悲惨です。その一方で、大阪府門真市の辻川覚志医師の調査(図参照)は、持ち家率の高い中産階級の高齢者を対象にしたところに意味があります。対象を区切ってみれば、独居でも満足度が高いということがはっきりと示されました。

■おひとりさまは覚悟が決まっている

 独居高齢者には「余儀なくおひとりさま」と「選んでおひとりさま」があります。後者には「おひとりさま資源」が必要です。持ち家とか経済力、おひとりさま耐性とかですね。
 辻川医師のデータでは、子どもの有無は生活満足度に関与しないということも示されていました。子どもがいる人は、子どもが家から出ていったらさびしいと思うかもしれません。でも最初から子どもがいない人は、さびしいと思う理由がありませんから。

――おひとりさまは、近年啓発が進んでいるACP(人生会議)にどう関わるべきですか。

 ACPは共同意思決定のこと。でも現実的には、要介護高齢者は関係者のなかで一番弱者です。世話をしてくれる人が強者に決まっている。私はジェンダーの問題を扱ってきましたが、日本の高齢女性は自己主張しない人が多い。世話するのが女の役目で、世話する役目を果たせなくなった女は家に居場所がありません。
 共同意思決定という理念は正しいけれど、声の大きい人の意見が通るか、その人の顔色を見て忖度してしまうのが日本の高齢女性です。それならば本人の気持ちを日頃から聞いておけばいいだけです。死や死後について話すというタブーが最近やっと消えてきたせいで、そのようなコミュニケーションができるようになりました。
 50代の初めに、86歳の父を看取りました。がんの告知を受けていたのですが、父は医師だったので自分が末期だとわかっていて、受ける治療も対症療法だけということを理解していました。
 しかも彼は、小心で絶望したがん患者でした。病床の上で日に日に言うことが揺れ動きました。ある時は「一日も早く死なせてくれ」と言い、次の日には、「リハビリ病院に転院したい」と言う。この状況でリハビリ病院に行っても意味がないとわかっていながら言うのです。でも「そんなの無駄だからやめなよ」とは言えません。だから父の希望をかなえるために転院先を探すと、「気が変わった」と。
 父は一日ごとに迷い、意見を変えました。その時に、死にゆく人の気持ちに「振り回されるのが家族の役目」と覚悟が決まりました。15カ月間それが続いて、面倒を見るきょうだいの間で同志愛が育ちましたね(笑)。

■おひとりさまは孤立しているわけではない

――家族がいない人の場合はどうでしょうか。

 家族がいない人は振り回す周囲がいません。振り回すというのは甘えるということですから、同じ要求を赤の他人には言わないでしょう。話を聞いてくれる家族だから振り回すのです。つまり長年おひとりさまをやってきた人は、「こんなことを他人に言っても仕方がない」と覚悟が決まっているわけです。
 人間らしいというのは、迷いとか悩みとか、弱さを見せること。もちろんおひとりさまでもそのような人はいるでしょう。だから夜は一人でいるのが不安だと訴える人のために、夜間に泊まってもらえるサービスもある。またある医師は、末期に「さみしいなあ」と言う患者に「誰に会いたいですか」と聞いて、その人に連絡するのだそうです。おひとりさまは単に独居なだけで、孤立しているわけではありません。

――日本の高齢者は友人がいない人が多いというデータもあります。

 家族持ちの人たちを見ていると、家族のほかに人間関係を作ってこなかったのか、と本当に不思議ですね。「この人から家族を引き算したら何が残るんだろう」と思うことがあります。男性はとくに妻への依存度が高いですから、老後も妻さえいたら十分だと思うのかもしれません。でも妻に先立たれたら何もなくなってしまいます。
 友人もいなければ家族もいないという、本当に孤立した人も確かにいます。でもその人たちも、介護保険と医療保険というインフラを利用することはできます。
 面白い話があります。石垣島には、死に場所を求めて移住する人がいます。全員、男性だそうです。アパートを借りたり、都会よりも安いから家を買ったりして、住み着く。でもその人たちは、現地のコミュニティーと交わったりせず、年金を受けて一人で暮らします。
 その人たちも病気になったり要介護になったりすれば、介護保険と医療保険を利用します。ケアマネジャーやホームヘルパーに支えてもらっているのですが、石垣島の人たちはとても親切だから、その後始末まで考えてくれる。「亡くなったら家族に連絡しましょうか」と聞いたら、「家族はいない」「連絡しないでくれ」と言われるそうです。それでも家族の連絡先がわかっている場合は、死後、遺族に「遺骨を引き取ってくれませんか」と通知すると、受け取りを拒否されたり、「宅配便で送ってくれ」と言われたりするとか。
 家族と縁を絶った人でも、介護保険と医療保険があれば、ちゃんとした最期を迎えさせてくれる。そこまでできる社会保障制度を私たちは作りあげたのです。

■介護現場の経験値は世界に誇れる

 一方でさびしさの問題は、制度では解決できません。
 ずっと一人で暮らしてきたためさびしさ耐性がついて、お友達がいなくても平気という人はけっこういます。でも、家族がいないことに不安を感じて、積極的に人間関係をメンテナンスしてきた人もいます。人間関係は、種をまいて水をやらないと育たないものです。放っておいてできるものではありません。女おひとりさまはそこを上手にやっていますよね。

――一人暮らしで認知症というケースも近年増えていると思います。

 私はかつて認知症に苦手意識がありましたが、今はなくなりました。認知症でおひとりさまでも、最期まで自宅にいられた事例が蓄積されてきたからです。家族の都合で施設に入れられるのではなく、認知症のおひとりさまでも在宅でそれなりに機嫌よくしていける。その事例を支えているプロが現れてきたことも大きいでしょう。
 この20年間の、介護保険による現場の経験値はすばらしく進化しました。かつて介護保険がなかったころには考えられなかった「在宅ひとり死」の選択肢が生まれ、不可能が可能になってきました。私はこれを世界に誇れることだと思っています。

 うえの・ちづこ●東京大学名誉教授。認定NPO法人WAN理事長。『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『おひとりさまの最期』(朝日文庫)など著書多数。 (c)朝日新聞社

※週刊朝日ムック『さいごまで自宅で診てくれるいいお医者さん 2022年版』から

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