高齢患者に「蘇生しないで」…救急隊員を困惑させた家族の訴え

現代ビジネス 2019/12/29

「よぼよぼの状態で長く生き過ぎている」
 「75歳以上は延命不要」――2014年、米国の『アトランティック(Atlantic)』紙上に掲載された1本のエッセイ「私が75歳で死ぬことを望む理由(Why I Hope to Die at 75)」が世界中(日本でも)で大きな議論を呼んだ。著者はエゼキエル・エマニュエル氏。医師であり、ペンシルベニア大学の医療倫理・保健政策学部長であり、「オバマケア(オバマ政権が掲げた医療保険制度改革)」成立の主導者でもあった。
 エマニュエル氏は、75歳になった後は、大きな医療介入だけでなく、抗生物質や予防接種さえも拒否すると宣言し、「高齢の米国人が、よぼよぼの状態で長く生き過ぎている」と主張。「私たちの消費は私たちの貢献に値するか」と疑問を投げかけた。
 それから5年、現在62歳のエマニュエル氏がインタビューに答えた、「『75歳以上の延命は不要』波紋呼んだ医療倫理学者がいま語る発言の真意」(stephen.s.hall 米国版)と題する記事がこの秋、またも話題になった。
 「私は75歳で死ぬつもりも、自殺するつもりもない。安楽死を求めてもいない。『寿命の延長、ただそれだけのために薬物治療や医療介入を受ける』という行為をやめるだけ」
 「多くの政治家が、『我々の持つもっとも貴重な富は子ども』と言っているにもかかわらず、国はその言葉に沿った行動を取っていない。大人、特に高齢者に投資するほどには、子どもに投資していない。たとえば連邦予算は、18歳未満の人に回される1ドルにつき、65歳以上の人には7ドルが回されている」
 といったエマニュエル氏の主張は、高齢者およびその家族、とりわけいま現在、延命の選択を迫られている人たちにとっては非情に突き刺さるだろう。
 だが、賛同する人も、決して少なくはないはずだ。実際日本でも、特に終末医療の分野で、「高齢者に対する延命治療」は大きな問題になっている。
「ゆっくり来てください」
 「そんなに急がないで、ゆっくり来てください」
「サイレンは鳴らさないで来てください」
「午後○時に来てください」

 昨今、救命救急の現場では、119番通報の際にこのような注文をする人が増えているという。それだけではない、駆けつけた救急隊員に対して、「蘇生しないでください」「本人の希望です、何もしないで」と懇願し、困惑させることも少なくないらしい。
 「本来救急車は、傷病者のもとへ、1分1秒でも早くかけつけるもの。サイレンは絶対鳴らすし、赤信号でも止まらず、全速力で駆けつけます。呼吸や心臓が止まった患者を、蘇生しないで搬送することもできません」
 そう語るのは、済生会横浜市東部病院・救命救急センター・センター長の山崎元靖氏だ。去る11月16日、横浜市の鶴見区で開催された『第15回つるみ在宅ケアネットワーク公開勉強会』での基調講演で、集まった聴衆およそ300人に向かって語り掛けた。
 この勉強会は、鶴見区医師会を中心とする在宅医療に関わるグループが「人生の最終段階をみんなで考えてみましょう“そのとき 救急車をよびますか? ”」と題して開催したものだ。
 消防法では、応急処置や搬送は原則義務化されており、119番通報自体が蘇生希望と解釈される。また「本人は倒れる前に延命不要と言ってた」と家族が説明しても、本人が意識不明の場合、それが真実なのかは分からないし、処置をせずに患者が亡くなった場合、現場にいなかった家族から訴えられる可能性も否定できない。
 「こうした事例は横浜だけでなく全国で、毎日のように起きています」(山崎氏)

高齢患者に「蘇生しないで」…救急隊員を困惑させた家族の訴え
延命中止したくてもできない
 山崎氏が働く救命救急センターには、年間6000人、1日約20人が搬送されてくる。到着した瞬間「治療はしないでください」と家族から頼まれることは日常茶飯事だが、救急車がゆっくり行けないのと同様、簡単には治療の手を止めるわけにはいかない。
 「我々は、止まった心臓を動かし、呼吸を取り戻すため、万端の準備をして待ち構えています。患者の生命を救うため、全力を尽くすのが使命だからです」
 とはいえ、家族の制止を振り切ってまで蘇生や延命措置を施すのは、医療者にとってもつらい。
 「胸に手をあてて、5センチぐらいへこませるようにやるのが心臓マッサージの基本です。そうしないと心臓に力が伝わりません。相当な力が入るので、高齢者の場合、肋骨とか簡単に折れてしまいます。ご家族のもとに、胸がへこんでしまった状態で患者さんをお返しすることになる」
 さらに、患者が亡くなった後も、山崎氏たちの苦悩は終わらない。
 「救急の患者さんは、ほとんどが初見なので、我々は、患者さんにもご家族にも面識がありません。それまでの経過を知らないので、死亡原因が分からないため、異状死として警察に届け出る義務が生じます。すると警察も、事件性の有無等を調べなくてはならなくなり、パトカーが自宅に行って現場検証をする、ということにもなりえます。
 当センターに搬送された患者さんのうち、年間100~200件のケースで、警察に届け出ています。我々もなるべく、死因を究明するために努力していますが、間に合わない」
 内閣府が行った調査によると、もし自分が治らない病気なら、自宅で最期を迎えたいと望む人は半数を超えている。しかし実際は、自宅で亡くなっている人はわずか13%。ほとんどの人は病院・診療所で亡くなっている。
人は必ず死ぬ
 「死ぬときぐらい好きにさせてよ」――2018年に亡くなった女優の樹木希林さんは、2016年に出演した宝島社の広告で、そんなメッセージを残していた。
 有名な絵画を真似、水面に浮かぶ樹木さん。キャッチフレーズの下には「人は必ず死ぬというのに。長生きを叶える技術ばかりが進歩してなんとまあ死ににくい時代になったことでしょう」というコピーも添えられていた。
 山崎氏は、この広告に大いに共感するという。
 「どう生きるかは、どう死んでいくかと基本的に同じ。人生の最期には、個人の人生観や価値観がしっかり活かされるようでなければいけない。
 人生の最期に、救急車を呼んでほしいと、本当に思っている人は、そんなには多くないはずです。もちろん交通事故に遇ったときなどは別ですが。家族全員で、おじいちゃんの大往生を見守っていたような場合はどうでしょう。急いで救急車を呼ばなくてはと思うでしょうか。
 高齢者で、人生の最終段階に入っておられる方は、家族に、静かに看取られたいと思っている人が多いということを知ってほしい」
 好きに死ぬことを難しくさせている要因は2つある。1つは、遺される家族の割り切れない感情だ。本人の意思を確認し、尊重しようと覚悟していても、死に逝く姿を見守るのは本当につらい。もしかしたら回復するのではないかと一縷の望みを絶ち切れないこともあるし、深夜や休日に危篤になった場合の対応を在宅医と決めておかなかったために動転し、救急車を呼んでしまうこともある(結果、救急隊や救急医に「蘇生はやめて」と嘆願することになる)。
 もう1つは、前述したように、救急隊には、「蘇生中止」を判断する権限がないことがあげられる。現状では、蘇生処置を行ってほしくないならば、119番通報をしないほかないのだ。
 ただ、状況は少しずつ変化している。
 2019年6月25日の朝日新聞(朝刊)によると、もっか都市部の消防本部の25%が、119番通報で駆けつけたにも関わらず家族から蘇生中止を求められた場合、条件つきで中止を容認している。

小藪氏を起用したポスターは炎上
 自分らしい最期を選びやすくしようとする流れは、時代の趨勢といえる。
 厚生労働省も『人生会議』なるものを提唱し、もしものときのために、自分が望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有を促す活動を始めた。
 人生会議は、こうした取り組みを指す「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」の愛称で、昨年、公募によって決定したもの。併せて11月30日を、「いい看取り・看取られ」のごろ合わせで『人生会議の日』に制定し、お笑いタレントの小籔千豊氏を起用してポスターも作成した。
 ところが、このポスターが炎上してしまった。
 死の間際に昏睡状態にあると思われる小籔氏が、「まてまてまて俺の人生ここで終わり? /大事なこと何にも伝えてなかったわ/(中略)あーあ、もっと早く言うといたら良かった! /こうなる前に、みんな「人生会議」しとこ」と心の声で呼びかけるポスターに対して、がん患者団体が抗議をし、続いてその抗議に賛同する声が広がったのである。

リスクを感じていない人たちにこそ
 この報道がなされるや、厚生労働省は即座にお詫び文を出し、ポスターの配布中止を決定したのだが残念だ。
 公表されている抗議文には、「『がん=死』を連想させるようなデザインだけでもナンセンスだと思います」としたうえで、「これを目にする治療に苦慮する患者さんや残された時間がそう長くないと感じている患者さんの気持ちを考えましたか? そしてもっと患者と話をすれば良かったと深い悲しみにあるご遺族のお気持ちを考えましたか?」とある。しかし、そもそもこのポスターは、がん患者を取り上げたものなのだろうか。
 日本人の2人に1人はがんになる時代。筆者の血縁者や親しい友人にもがんで亡くなった人や闘病経験者は少なからずいるが、告知があって、闘病生活があり、その間、本人も家族も悩み、話し合い、医療者も交えて本人の望む生き方や最期と向き合い、模索していたように思う。そういう意味では、がん患者は人生会議の先駆者だ。
 今回のポスターのように「何も伝えていなかった」と後悔する状態になるのは、がんよりむしろ、不慮の事故か、脳卒中のような突然の病気による可能性が高いのではないだろうか。
 そんなわけで筆者は、このポスターは、がん患者や家族に向けたものではなく、「リスクを感じていない一般の人たちに対して、他人事だと思わないで。誰にでも起こりうると考えて、人生会議を始めたほうがいいですよ」と啓発している内容と受け取った。
深刻な内容だからこそ「笑い」を
 また、批判の中には、「深刻な内容をお笑いで茶化すな」というものもあったが、深刻な内容だからこそ笑いが大切という考え方もあると思う。
 もちろん、このポスターが、がん病棟に貼られたなら、どうにも笑えないものになるかもしれないことは否定しない。患者団体の代表が抗議する気持ちも理解できる。しかし、貼られるのが街のクリニックや公共施設の壁ならどうだろう…等々。ポスターの配布を中止する前に、批判がでたことを契機に、“人生会議について皆で考える”という方向で議論を深めるやり方もあったのではないだろうか。
 さらに、人生会議をする前に倒れ、意思の疎通が困難になった場合でも「本人の意思を慮(おもんぱか)る術はある」と語るのは、横浜市で在宅クリニックを開業し、これまでに3000人以上を看取ってきた医師・小澤竹俊氏だ。小澤氏が理事を務める一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会は、本人にとっても家族にとっても死が穏やかであるよう、さまざまなサポート活動を行っている。
 鶴見区の公開勉強会では会の最後に、「人生の最終段階を考えることは、高齢者に限らず、誰にとっても必要なこと。小学校の授業でもぜひ取り上げてほしい」という意見が会場から出され、集まった人たちは皆頷いていた。
 人間の死亡率は、どうあがいても100%。自分はどう死にたいのか――老いも若きも、健康な人もそうでない人も、オープンに話し合うべき時代が来ている。

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