【広島】最期まで過ごす「家」 従来の施設でも自宅でもなく…広島にもホームホスピス

中国新聞 2019年11月19日

 ネギを刻む音や、ご飯の炊けるにおい…。家での生活のぬくもりを感じながら、最期まで暮らし続けられるのが「ホームホスピス」だ。自宅で暮らすのが難しくなった高齢者らのもう一つの家として全国に広がってきた。広島市南区の民家を使った「ゆずの家」でも、訪問医療や介護の支えを得て、利用者がゆったりとした時間を過ごしている。

■生活感が漂うぬくもり
 10月末の日曜日、ゆずの家であったイモ掘り大会。近所の子どもたちが軒先の畑でサツマイモを掘り出す。にぎやかな声につられて利用者も庭に出てきた。縁側の日だまりに腰掛けた日浦幸恵さん(91)は「ここは住んでいた家とよう似とる。うちでも畑にイモを植えよった」と頬を緩めた。
 ゆずの家は築20年余の木造2階建て日本家屋。黄金山の麓の住宅地にある。今は79~92歳の6人が暮らす。ヘルパーステーションを営む有限会社「スローライフ広島」(南区)が購入し、5年前にホームホスピスを始めた。建物は寄宿舎の扱いで、介護保険制度の枠組みには入っていない。
 介護福祉士で所長の亀田浩子さん(60)は開設のきっかけをこう語る。「独りぼっちで亡くなった人を見てきて、せめて最期は誰かが手を握ってあげられないかと思ったんです」。終末期が近づいても1人で暮らす高齢者が増え、ヘルパーの来ない時間に息を引き取るケースが気になっていた。
 そんな時に知ったのがホームホスピスだ。住み慣れた地域の居心地のいい家で、ともに暮らすという考えに共感した。「ここではみんなが『疑似家族』なんです。職員と利用者がけんかすることもあるんですよ」と笑う。
 全国ホームホスピス協会(宮崎市)によると、ホームホスピスの基本理念は、本人の意思を尊重する▽家という環境で暮らしを継続することを大切にする▽家族が悔いのないみとりをできるよう支える―などだ。9月末時点で44法人が57カ所で運営し、2015年の協会発足時から32カ所増えた。中国地方にはゆずの家と「まろんの家中郷」(広島市佐伯区)の2カ所がある。
 ゆずの家では、どんな暮らしがあるのだろうか。職員は日中は2人、夜は1人。利用者のみとり期は1人ずつ増やす。訪問診療や看護、入浴などの外部のサービスも併用。入居費用は、医療や介護保険の自己負担分を除いて月15万~18万円。食費も含まれ、一般的な有料老人ホームや、サービス付き高齢者向け住宅と比べると安い。
 佐伯区の吉川洋子さん(64)の母、長本幹枝さん(87)は2年前に入居した。母は口から食べられず、今年の桜は見られないかもしれないと言われていた。でもこの秋、誕生日ケーキのクリームを2口なめた。認知症の進行も緩やかになった。吉川さんは「話し好きの母には、よく声を掛けてもらえて、生活の音でざわざわしているここが安心できるようです」と話す。
 吉川さんが、末期がんの父をみとったのもゆずの家だった。約1カ月、夫婦でベッドを並べた。父は昨年10月、母に手を握られて91歳で息を引き取った。好きだった村田英雄の「王将」が流れていた。吉川さんは感謝する。「病院や施設だったら、こんな最期は難しいでしょうね。仲良しの両親が一緒に過ごせて良かった」
 多死社会を迎え、ホームホスピスはみとりの場としても注目される。ゆずの家でもこれまでに19人が入居し、うち10人を居室でみとった。亀田さんは「ここでは穏やかに枯れるように亡くなる人が多い。家の持つ力なんでしょうか」と実感を込める。

■ホームホスピスって? 来月1日、広島で講演会
 ホームホスピスを知ってもらうための市民公開講演会が12月1日午後0時半から、広島市中区の広島国際会議場である。全国ホームホスピス協会が、中四国地方で初めてのホームホスピス全国合同研修会に合わせて開く。
 2004年に日本で最初のホームホスピス「かあさんの家」(宮崎市)を開いた同協会の市原美穂理事長がホームホスピスについて紹介する。「平穏死・10の条件」などの著書のある長尾和宏医師と、宮崎大医学部の板井孝壱郎教授(生命倫理)、在宅ケアへの移行などに取り組む宇都宮宏子さんの3人も登壇。「いのちについて考える時間」をテーマに話し合う。
 午後3時半まで。参加費千円(学生無料)。メール(info@homehospice―jp.org)で申し込む。協会事務局Tel0985(65)8087。

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