自由な時間を得るということ

うちのステーションは完全フレックスタイム制です。訪問以外の時間は身体的な拘束を一切していません。

例えば移動途中にスーパーに寄って晩ごはんのおかずを買っていただいてもよいし、ファミレスやご自宅で昼食をとっていただいてもOKですよと伝えています。covid-19には当然ながら配慮いただくという前提で。他のステーションがどのようにしているかわからないので「それって普通だよ、あたりまえ」といわれると「あ、そうなんですね」とお答えする他ないのですが、まったく訪問がない日は出勤することもありません(勝手に有給や欠勤扱いになどしていませんよ、念の為)むしろ出勤しないでいいようなスケジューリングを意識しています。出勤しなくても在宅で可能な仕事をしていただいています。在宅で可能な仕事って実はたくさんあるんですよ。ただ、その環境を準備する/しないの差異なのだろうと考えます。

その理由は「スタッフの身体的な拘束とステーションの生産性向上との因果関係を有意性をもって確認することができない」からです。

端的に言えば、生産性を向上させることができる人というのは、体がどこにあってもそのための小さな選択を積み重ねるし、一方でそうでない人というのは、体をどれだけステーションに拘束しても意味がなく、むしろステーション文化(ミーム?)の醸成に悪影響を及ぼすと考えています。

これは日本が「ゆとり教育」という国家的な大実験を経て既に実証済だと思われ、時間的なゆとりで何が起こったかというと、それは単なる個人間の格差の拡大でした。

自ら課題を見つけて学ぶことができる人にとって、本来学校というのはそれほど必要なものではなく、むしろ自由な学びの時間を拘束される空間に過ぎません。ステーションを学校に置き換えればそれは自明の理でしょう。

自ら課題を見つけて学ぶことができる人というのが、医療の現場に関わらず社会全体のあらゆる場所で今後求められるのだろうと思います。covid-19を(単なる)きっかけとして更に如実に数年の時間をかけて個人間の格差という結果として証明されることでしょう。。

課題を見つけるということはAIにはできません。

自分の役割/意義を属する組織内で創出できない人というのは、学ぶ以前に自ら課題を見つけることができない人というカテゴリーに該当するのだろう思います。課題を見つけるという作業は、常にあらゆる現象/行為への妥当性を検証することの連続だと考えています。すなわち思考しているか?ということだと考えます。

思考を要しない組織/役割というのは、当然ながら単純作業(いわゆるマックジョブ)の繰り返しです。単純作業の繰り返しで組織としての結果を出そうとすれば労働時間を増やす他に手立てはありません。有資格者であっても、思考しない人というのは、時間をかけてだんだんとそのような環境に追いやられていくのかな?と思います。

何が良いかは個人差がありますが、一つ確実なことは、人間は知的生命体である(はず?)ということなのです。

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