介護保険は無駄と信じた私 要介護の今、実名で伝えたい

朝日新聞 2019年11月4日

 80歳まで働き、1千万円ためれば老後は何とかなるんじゃないか――。そんな老後を思い描いていた小西雅昭さん(71)。ライフプランが崩れたのは突然だった。
 警備員として働いていた。2017年10月30日午前8時、横浜市内の工事現場で朝礼の最中、「○×警備の小西です」と名乗ろうとしたがろれつが回らない。周りの人から「フラフラしているぞ」といわれ座り込んだ。立ち上がろうとして倒れ、そのまま病院に救急搬送された。
 くも膜下出血だった。1カ月後、リハビリ病院に転院し、ほぼ5カ月後の3月30日に退院した。左半身にまひが残り、歩くことも不自由になった。当然、警備員として働くこともできない。
 大誤算だった。一方で、まったく頼る気のなかった公的な社会保障によって、小西さんの生活は支えられることになった。

「社会保険料はムダ金」
 記者が小西さんと最初に会ったのは13年10月6日のことだった。きっかけは、当時、私が所属していた論説委員室に届いた一通の投書。「介護保険法は憲法違反」というタイトルだった。
 65歳になって介護保険証が送られてきた。市役所と厚生労働省に問い合わせると、「強制加入で脱退できず、介護保険料を払わなければ差し押さえられる」といわれた。手紙は「介護を受けない自由、介護保険から脱退する自由を認めないことは、憲法で保障された基本的人権を侵害する」という論旨だった。
 喫茶店で会い、詳しく話を聞き、メモをとった。
 1973年のオイルショックのさなかに大学を卒業。いくつかの会社を転々とした後、33歳以降はずっと「フリーター」として働いていた。工場の作業員や警備員の仕事を中心に、85回転職したという。
 「社会保険料はムダ」との思いから、なるべく余分なお金を払わない働き方を選んできた。国民健康保険は未加入。病院にかかった記憶はない。自分の健康に自信があったし、仏教の熱心な信者である自分は「信仰によって健康を維持できている」と考えてきた。
 国民年金は1カ月払っただけ。「働けなくなってお金が無くなったら飢え死にを選びます。介護を受けるなら生きている意味はない。認知症になるなんて考えられないですね」
 当時の取材でペンを走らせたノートには、こんな言葉が残っていた。

「介護保険の世話になっています」
 その後、手紙のやりとりはあったが、会うことはなく時は過ぎた。
 驚きの手紙が届いたのは、昨年4月。くも膜下出血で倒れ、入院から退院までの経緯がつづられていた。さらに「医療保険や介護保険の世話になっています」と書いてあった。すぐに連絡をとり、初めて自宅を訪ねた。
 小西さんは東京都狛江市に住んでいた。自宅のあるアパートは、急行が止まらない駅から7~8分歩いた先にあった。間取りは6畳一間に簡単なキッチン、バス・トイレつきだ。月の家賃は3万9千円。介護用のレンタルベッドが入り、転倒防止の手すりが張りめぐらされていた。
 倒れて搬送された急性期の病院で約5週間を過ごし、その後、リハビリ病院に転院した。そこで医師から介護保険を使うよう説得されたという。退院後の生活に不安が感じられたのだろう。「介護保険を使わないと退院させられない」といわれた。病院から地域包括支援センターに連絡が行き、介護保険のケアマネジャーを交えて小西さんのケア会議が開かれた。
 滞納した介護保険料2年分などをまとめて払い、要介護認定を受けた。ホームヘルプが毎日、デイサービスと訪問リハビリテーションをそれぞれ週1回、というケアプランでサービスを使っている。まさに「強制加入」という公的保険の性格が幸いした。
 そのほか、訪問診療が月2回、社会福祉協議会から支援員が月1回来訪し、金銭管理を助けている。
 「大言壮語して恥をかきました。反省しています」と、小西さんは小声で話した。
 「働いて健康保険に入っている間に倒れたのは不幸中の幸いだった。もし、仕事をやめた後に倒れていたらもっと大変だったろう」
 「ヘルパーさんが来たり、ベッドがレンタルできたり、介護保険でどういうことができるのか、病気になって初めてわかった」
 「そうでなければ、年金から介護保険料を天引きするとは何事だと文句ばかり言っていたかもしれませんね」
 小西さんはそう振り返った。年金にお金をかけない生き方をしてきたが、このとき月約4万円の年金も受け取っていた。2017年に無年金対策の法律が施行され、細切れの加入歴を足し合わせたら最低必要な10年に届いたのだ。今の会社で健康保険に入っていたため、入院中の医療費もカバーされ、傷病手当金の支給もあった。
 入院時には約240万円あった貯金は徐々に取り崩さざるをえず、残高が1カ月の生活費を切る程度になった。今秋、生活保護を受け始める予定だ。
 「お金が無くなったら飢え死にする」といっていた小西さんだが、いまは「ヘルパーさんへの支払いがあるから、生活保護を受けないといけない」。他人に迷惑をかけるわけにもいかない。生活の立て直しを前向きに考えられるようになった。

社会保障の「生きた教科書」
 ここまでの経緯の概要は昨年夏に一度、「Kさんの反省に学ぶこと」と題した短い新聞コラムで書いた。Kさんとはもちろん小西さんのことだ。
 反響がいくつかあった。ある医師はツイッターで「講演会したりユーチューバーとして世の中に情報発信したりしてこのKさんが食べていけるといいな」と感想を書いてくれた。また、川崎市立看護短期大学が、社会人向け入試の小論文でコラムを取り上げ、受験生に「社会保障の価値」を論じさせた。こうした反応を報告すると、小西さんは喜んでくれたようだった。
 私はもう一度、小西さんが記事に登場してほしいと強く思った。
 個人にとって元気で働けているうちは、社会保障のための負担など「自分が使えるお金が減る」という意味しかない。病気や高齢などで働けなくなって初めて、社会保障という「支え合い」のありがたさが実感できる。小西さんは、まさに「生きた教科書」だ。
 わざわざ、退院後に手紙で報告してくれた小西さん。その真摯(しんし)な反省に対して、私は報いたいと感じた。今はまさに、「良い教科書」が必要なタイミングだ。
 たとえば、公的年金。8月に結果が発表された5年に1度の財政検証では、このままだと少子高齢化で年金の給付水準は30年後に約2割減となると試算。その一方で、現在の20歳が66~68歳まで働いて保険料を払い続け、受け取り始めるのを遅らせれば、いまの65歳(60歳まで加入)と同じ水準の年金を維持できるというオプション試算も示された。
 さらに来年の通常国会に向けて、いくつかの改革メニューの検討が始まっている。その一つが、年金を受け取り始められる年齢の幅を「60~70歳」から「60~75歳」に広げること。より遅く受け取り始めれば受給額をさらに増やすことができる。
 ただ、いつまで働けるかには個人差があり、小西さんのように「80歳まで働く」と計画しても、突然の病で雇用が断ち切られることがある。そうした事態も想定し、若い頃からできるだけ将来の年金を増やす施策が必要となる。
 それが、給付がより厚い厚生年金に、非正規労働者を含めてより多くの人を加入させる「適用拡大」だ。加入する個人にとっては将来の年金が増えるメリットがあるが、社会保険料を実際に納める企業にとっては単なる負担増でしかなく、パートなどの非正規労働者の多い業界が、激しい反対運動を繰り広げるのが常だった。
 ここでも小西さんの経験は大いに参考になる。取材の最中、小西さんが「運転免許も何も資格がない自分でも食いつないでこられたのは非正規でも仕事があったから。今日明日を生きるのに必死だった」。
 そう声をつまらせる場面があった。だから、なるべく社会保険料の負担から逃れようとしてきたのだが、途切れ途切れに加入した期間があり、それを足し合わせると最低必要な10年に届き、月約4万円の年金に結びついたのだ。
 小西さんの年金記録の回答票を見た。年金の加入月数は、1970年から74年までの「47カ月」から始まり17年の「3カ月」までの記録を足し合わせて「136カ月」とあった。本人があまり意識しないうちに勤め先で厚生年金に加入し、給料天引きで保険料が払われていた。このうち小西さんが自発的に払った国民年金保険料は1カ月だけ。本人の自由に任せていれば「手取りが減ってしまう」という理由で加入せず、将来、低年金や無年金になってしまう人は増える。
 小西さんが最後に働いていた警備業界では2012年に大きな動きがあった。国土交通省が社会保険に未加入の事業者を工事の入札に参加させない方針を打ち出した。「当時、資格を持たない交通誘導員だと5人に1人しか加入していなかったのが、いまは加入が当たり前になりつつあり、大幅に改善していると」と、警備業界を研究する仙台大学准教授の田中智仁さんは話す。
 こうしたあの手この手の「適用拡大」は、小西さんのような不安定な雇用を長く続ける人の老後を支えるために喫緊の課題だ。

社会保障の「真価」はどこに
 ここ1~2年、安倍政権下では、経済産業省が主導する官邸の「未来投資会議」などを舞台に、予防で健康寿命を延ばし、できるだけ長く働ける社会をつくることを「社会保障政策」の柱として位置づけてきた。
 その目標自体は必要なことだ。だが、社会保障政策の真価が問われるのは、働けなくなったときどんな役割が果たせるかだ。尊厳ある暮らしができる給付サービスを維持できるか。そのための財源は確保できるのか。負担と給付がつりあうという見通しは示せるのか――。
 9月、安倍政権は「全世代型社会保障検討会議」をスタートさせた。ぜひ具体的な人物像をイメージして、年金を増やし、医療や介護のセーフティーネットを強化するには、どうしたらいいかを議論して欲しい。小西さんが、実名、写真つきで登場してくれた意義はそこにある。

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