医療法人社団「悠翔会」理事長、在宅医・佐々木淳さん その人らしさ「支える医療」

朝日新聞 2019年3月23日
 超高齢社会ニッポン。中でも都市部で進む急激な高齢化は、待ったなしの課題だ。この問題に、200人超の様々な職種のスタッフとともに立ち向かう。 高齢者への訪問診療など、24時間態勢で行う在宅医療クリニックを、首都圏に12カ所もつ。総患者数は約4千人。それらを束ねる法人の経営者であり、在宅医である。32歳のときに一人で開業し、全国最大規模まで成長させた。 地域のクリニックの当直機能を代行したり、いろんな職種の人が学ぶ「在宅医療カレッジ」を運営したり。「診療満足度」「看取(みと)り率」などの数値をあえて公開するなど、発想と行動の力に富む。 運営方針はすべて自分で決め、各クリニックに指示していた時期もあった。だが「現場のことをわかっていない」と反発が強まり、離職するスタッフも出た。思い切って各クリニックに裁量権を委ねると、いい方向に歯車が回り始めた。今は年2回、全スタッフが一堂に集まる。12クリニックの院長たちは経験を共有し、助言し合う。 「やるべきことを、みんなで考える。それに取り組める風土を作るのが僕の仕事、と気づきました」 中学のとき、母親が脳腫瘍(しゅよう)で手術を受け快復したのを見て、医師を志した。大学を卒業後、三井記念病院の消化器内科医に。だが、ひたすら肝臓がんを焼く仕事や、外来に軽症の人ばかりが受診に来ることに、違和感を覚えるようになった。「医療を違う視点から見たい」と考え、外資系のコンサルティング会社を受験、内定をもらった。 勤務が始まるまでの間、たまたま在宅医療クリニックでアルバイトしたことが、運命を変える。神経難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)の中年女性がいた。思い切って「つらくないですか?」と尋ねた。すると、予想もつかない答えが返ってきた。「いつも夫がそばにいて幸せですよ。人工呼吸器もきちんと設定すれば、ついていることすらわかりません」。夫婦で外食にも出かけていた。 そこにいるのは、病気と闘う「患者」ではなく、人生を楽しむ「生活者」だった。その生活を、在宅医がそっと支える。「治す医療」ではなく、「支える医療」の存在を知った。「これが、僕のやるべきことだ」。数カ月後、在宅クリニックを開業した。 今も週4日の訪問診療をこなす。これまで約3千人の最期に関わった。患者が紡いできた「物語」は、それぞれ違う。そこに、医師である自分も組み込まれていく。 「僕たちの関わりによって、その人の残された人生が変わる。そして僕自身の人生も変わる。だから在宅医療は面白いんです」
――すさまじい超高齢社会になります。
 75歳以上の人は東京23区だけで、すでに約100万人。埼玉、千葉、神奈川では、(団塊世代がすべて75歳以上になる)2025年に10年比で約2倍に増える。このままでは在宅医療の提供量が不足します。25年までに、首都圏で在宅医療が足りないところがなく、安心して年をとれるという状況にしたいのです。
 ――だからここまで規模が大きくなったのですね。
 最初は、東京の中心である千代田区に拠点を置けば、23区全域を訪問できると考えましたが、甘かった。地域密着を目指し、患者さんの多い周辺地域に置き、さらに埼玉、千葉、神奈川へと、クリニックを増やしていきました。介護施設も回るようになりました。
■納得感が大事
 ――様々な職種のスタッフを抱えます。
 医師、看護師、歯科医、ソーシャルワーカー、管理栄養士、経営企画スタッフ……。実に多様です。すべて在宅医がやるわけではありません。訪問時は、診療アシスタントがやりとりを記録します。また「ちゃんと食事がとれていない」というケースなら、管理栄養士につなぎ、「うつのようだ」と訴えがあれば、精神科医につなぎます。
 ――在宅医療の魅力は何でしょうか。
 病気や障害があっても、できることを一緒に探す。1分1秒長生きさせるために生活を制限するのではなく、人生を豊かにするための可能性を追求します。「おいしいものを食べたい」と言われたら、誤嚥(ごえん)すると危ない、ではなく、どうすれば食べられるかを一緒に考えるのが、在宅医の役割です。「そんなことして、何かあったらどうする?」とよく言われますが、「何か」って「必然」じゃないかと思うんです。「最後の仕事をやり終えたい」という末期がんの男性がいました。僕は緩和医療で痛みをとり、望みをかなえました。本人が納得するかどうかが大事なのです。
 ――訪問診療に同行したとき、ご家族の話をじっくり聞いていましたね。
 患者や家族と、納得がいくまで話し合います。先日、男性患者の娘さんから「急変したとき、救急車を呼ぶべきかどうか迷う」と相談されました。横軸に年齢、縦軸に衰弱度合いをとり、グラフを描きながら、丁寧に説明しました。結局「悩んだら救急車を呼ぶ」という方針で一致しました。お父さんへの思いが強いと考えたからです。 人生の最終段階の選択は、患者や家族ごとに考える必要があります。これまで約3千人の患者さんの最期に関わってきましたが、一人ひとり望みは違います。病院だと、こんなふうにじっくり話すことは難しいと思います。
 ■知ってつながる
 ――地域のクリニックとの連携にも積極的です。
 在宅医療は本来、各地域のかかりつけ医が担うのが理想です。ただ高齢の先生も多く、休日・夜間の負担が大きい。そこを「副主治医」として、我々が支援させていただくわけです。現在は16クリニックと連携し、患者約2500人の副主治医を担っています。
 ――これだけの大所帯をまとめるのは大変では?
 コミュニケーションを密にしています。先日、幹部約40人が終日会議室にこもり、法人の進むべき道を議論する「グループビジョン会議」を初めて開きました。地域や社会のニーズの変化を全員で共有しないと、生き残れません。
 ――在宅医療カレッジを開き、専門職のスキル向上にも力を入れていますね。
 元々は悠翔会の内部で勉強会をしていたのですが、外部に開放し、15年から始めました。「教授」には、医療・介護の専門職だけでなく、認知症の当事者や社会学者も招きました。 目的はシンプル。「知ること」と「つながること」です。たとえば、患者の「むせる」という相談を受け、「年のせい」で終わっていた専門職が、講義を聴いて「薬の影響でのみ込みが悪くなることがある」と知る。薬剤師に相談し、薬を変えれば、食べられるようになるかもしれません。 いろんな職種の人同士が会場でつながり、フェイスブック上でもつながる。今や1万人を超える人がつながっています。お互いが助言し合ったり、実際に現場で一緒に仕事をしたりすることもあります。
 ――今後は何を目指しますか。
 地域づくりにかかわっていく必要がありますね。独居の高齢者が増え、地域から孤立しつつあります。薬を処方するだけでなく、一人暮らしの高齢者が一緒に食事できる場所を作るなど、「社会的処方」が重要になっていくと思います。
 「つながり」は平均寿命を延ばす、という研究結果もあります。社会保障費や病院のベッド数は、有限です。時代の流れに即した在宅医療を、これからも懸命に考えていきます。
 ■プロフィル ★1973年、京都市生まれ。 ★92年、筑波大医学専門学群に入学。写真は、水泳部の仲間とパラオへダイビングに行ったときのもの。3年で主務を務め、他学群生も含め100人以上の部員をまとめた。「多様性の心地よさを知った」 ★98年、三井記念病院に内科研修医として入り、2000年から内科、消化器内科に勤務。 ★03年、東京大大学院に入学。06年3月、フジモト新宿クリニックに勤務し、在宅医療と出会う。大学院を中退、同年8月に「MRCビルクリニック」を開設。 ★08年、医療法人社団悠翔会に法人化し、理事長に就任。 ★今年2月、在宅クリニック開業時から見守り続けてくれた愛犬ヴェネタちゃんを看取った。「開業して一人きりだったころ、精神的に支えてもらった」。今は都内のマンションに猫2匹と暮らす。

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